1954-12-03 第20回国会 衆議院 法務委員会 第1号
たとえば六月二十五日の総評の機関紙の「総評」二〇〇号において高野実氏が署名入りで、「賃上げと労働プランによる就労闘争」という主張を掲げております。その中でこういうことを申しております。
たとえば六月二十五日の総評の機関紙の「総評」二〇〇号において高野実氏が署名入りで、「賃上げと労働プランによる就労闘争」という主張を掲げております。その中でこういうことを申しております。
「十日、支部闘委は組合員八十名とともに今日働かせろと完全就労闘争を開始。安定所長不布につき」これはちようど私は県に会議がありまして、出ておりました。「安定所長不在につき、労働課長と強力な交渉を行い、午後十二時過ぎまで強い団結をくずさずがんばり続け、とうとう次の事項を獲得し、電車がなくなつてとまり込んだ十八名を残して引揚げた。一、今日交渉した百三十名をアブレ番の時(十四日まで)に働かせる。
○梅津説明員 私は、川崎における就労闘争といいますか、労働攻勢というものは、まつたく今のような事実から派生したものだということを、最初の日に申したわけでありまして、速記録をよくごらんいただけばわかると思います。